松井自伝





「出生」

本名、松井明紀。1979年12月18日に三重のヨナハ病院にて生をうける。でも住所は北海道札幌。
出産のときだけ母は実家に帰っていた為である。血液型O型、五体満足。
そうそう、人に「どこ生まれ?」と聞かれると「札幌」と答えるようにしている。
だってなんかそっちのほうがカッコイイでしょ。
四歳まで北海道で暮らす。途中で札幌から室蘭に引っ越したらしいが、北海道の記憶は室蘭しかない。
四歳の誕生日にショートケーキをもらって上にのっかっているイチゴを食べたら、
それはイチゴではなく、甘ったるいゼリー状のようなものだった苦い記憶だけ。
ちなみに元モー娘の安部なつみさんは室蘭出身で、年齢も3つ4つしか違わない。
恐らく同時期に近くに住んでいたと推測。
確かに近くに安部という苗字があったような気がする。するだけ。
そう思い込んだほうが幸せということもあるのだ。


「成長」

幼稚園に入る前に千葉に引っ越す。兄はすでに小学校に通っていた為、
日中はすることもなく近くの公園で一人遊んでいた。
やがて幼稚園に入園。その時の先生がとてもセクシーな女(ひと)で、いつもブラが透けていた。
ちなみにその先生のトイレを覗きに行ったこともある。
小学校に入学。成績は常に中の中。勉強も運動も中の中。「オール3の男」と呼ばれていた。…かも。
しかし、いつしか美術図工の才能を開花させ、美術図工は常に5をとるようになった。
そういえばこの時期にファミコンが発売された。周りの友達はすぐに親に買ってもらっていたが、
家の親は「バカになる」と言って、なかなか買ってくれなかった。
自分だけ持っていないのは悔しいから、友達には「持っていると」言っていた。
なぜうちの親は買ってくれないのかと恨んだこともあったが
今考えるとそれは正解だと思う。かわいいからと言って子供に
なんでも買い与えちゃ、ろくな人間にならない。
小3の時に現在の三重に引っ越す。子供にとって学校が変わるというのは大変なことだ。
新しい学校の友達と仲良くなっても、どっかで後から入ってきた者という弱さがあった。
そういう意味で中学校入学は自分の中で”リセット“だった。


「バスケ」

中学生になりバスケット部に入部する。そうこの時期あの「スラムダンク」全盛期。
もろに影響された。自分以外にももろに影響された奴は多く
新入生だけで3,40人はいた。その中でレギュラーは5人。なんとも効率の悪いクラブだ。
3年生は2年生に新入生を辞めさせる命令を出していたため、
最初の頃の練習は本当に厳しかった。ゲロを吐く奴もいた…。
しかし、もちろんレギュラー獲得。一試合に24点入れた記憶は今でも色濃く残っている。
ちなみに同学年のサッカー部は全員レギュラーだった。


「恋」

小学生の頃から好きな人はいたが、現在鮮明に覚えている人は一人しかいない。
中3の時に好きになったAさんだ。この年代で人を好きになるということは
今、人を好きになることと、全然違うと思う。まず、限りなく可能性のない恋だから。
今でこそ中学生、小学生で付き合うどうのこうのはあるが、当時はほとんどなかった。
つまり付き合うつもりで人を好きにならなかったのだ。
強運のせいか、Aさんと同じ班になったり、さらに隣の席になったこともあった。
飛び上がるほど嬉しかった。でも自分は内気な性格だったので、喋ることはあまりできなかった。
あの時ほど純粋に一人の人のことを思うことはもう絶対できないと思う。
後に20歳になった時、中学の同窓会が開かれた。Aさんもいた。
やっぱり、話し掛けることはできなかった。


「高校」

高校入学。音楽をやるかバスケをやるか悩んでいた。結局、バスケ部に入部し、バンドも組む。
大方の予想どおりどっちつかずになるので、一年ほどでバスケ部を退部し、純粋なバンドマンとなる。
そうそう、初めてバンド組んだ時デカイ音でみんなであわせたときのあの感動、初期衝動というやつが
今日まで僕の音楽人生を支えているのは間違いない。
とにかくバンド活動に熱中。コンテストとかに出まくってちょっと賞とかもらってその気になった。
あの勘違いも今日まで僕の音楽人生を支えているのは間違いない。
ちなみにバンドやったらモテると思っていたが、それは幻想であることに気付く。
やるだけじゃ駄目だ。かっこよくならないと。
これといった恋愛がないうちに高校卒業を迎える。
しかしここから自分の人生の本番が始まったのだ。


「スプーンタップの”ス“」

高校を卒業してまず「L&A」というバンドで活動。このときのドラマーは
桑名にある某高級料亭の社長の息子。このときはメンバーに苛立ってばっかりいた記憶ばかりだ。
その後、「L&A」を解散し新たに「EXIT」というバンドを結成。このときのベーシストは
のちにスプーンタップのベーシストとなる山下将宏だ。
彼と出会ってからが自分の音楽活動の本当のスタートだったと今になって思う。
数ヵ月後「EXIT」のドラマーが脱退し新メンバーを向かえた。実はこの新メンバーが
現スプーンタップ、パーカッションの山際慎治なのだ。
このときバンドのメンバーで初めて年上(しかもかなり年上)の存在を迎えた。
まだ青さの抜けない18、19の自分には、かなり刺激的な「いろんなものの考え方」を彼に教わった。
そして山際の希望でバンド名を「リーゼント」に変更。
このときボーカルは高校生の女の子だったのに「リーゼント」… 今では理解しがたいが当時は納得。


続く…