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湖北省武漢・新人類BAR/Start 22:00 SMZB/生命之餅・乱日(From 武漢) |
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湖北省武漢市
市街地 |
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ここで武漢の街を紹介しよう。
湖北省の省都「武漢」は長江と漢江が合流するところを中心に古くから栄えてきた街で、 中国最大の大都市上海や河北省東部の港町天津、 山東省の省都済南、山東省の港町である青島、煙台同様に 現在の中華人民共和国建国以前(52年前)まで外国の租借地、 つまり半植民地のような状態だった都市で、 その為西洋式の建築物がいたる所に残されており、 場所によっては当時の西洋の街をそのまま持ってきたように感じるほどだ。 当時は「武漢」と言う名称は無く、長江の西側で、 漢江の北側に位置する[漢口]、漢江の南側[漢陽]、長江の西側[武昌]と 三地区それぞれ独立した名称しかなかった。 その後現在の中華人民共和国が成立した後、 「武昌」の“武”、「漢口」「漢陽」の“漢”から「武漢」と言う名称が誕生した。 当時、一番発展していたのは「漢口」地区で、租借地時代の中心地であった。 「漢陽」地区は未開発なところが多く郊外的な存在で、「武昌」地区は武漢大学があり、 大きな湖等のある環境の良い文化区のようなところであった。 結成初期の中国共産党が国民党軍閥に反対して決起した有名な「武昌起義」も ここで起こっている。これは現在も変わりなく、 「漢口」は商業地帯、「漢陽」は一般的な都市で、「武昌」は幾つかの大学から ハイテク産業までそろった一大文化地帯となっている。 また、武漢は中華人民共和国建国当時、北京についで第2位の首都候補地であり、 首都決定投票時、わずか1票の格差で北京に敗れたと言うエピソードがある。 中華人民共和国中央人民政府主席(国家主席)の毛沢東もこの土地を深く愛した。 現在は上海に比べ街の景観は劣るが中国南方の大都市の中では 独特色の強い都市と言え、旅行者に特殊な魅力を与えてくれる。 現在の武漢市政府は現在の上海を武漢発展のモデルとしているようで、 将来は内陸部の上海となるのではなかろうか? |
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漢口駅
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武昌駅
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湖北省武漢市の玄関口である二つのレールウェイステーション
武漢には[武漢駅]と言うものが無く、 長江沿いの北側“漢口地区”にあるのが[漢口駅] 南側“武昌地区”にあるのが[武昌駅]。 |
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武漢市人民政府
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中国税関
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沿江大街
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武漢関
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「沿江大街」の「武漢関」にある租界時代から残るの数々の建築物。
ここから北が、武漢一の繁華街である「江漢路」。 このあたりは19世紀の港町の名残がまだ残されている。 このあたりは、上海のバンド地帯と少し似ている。 かつてこの地が租借地だった時代に西洋人の手で建設された。 このあたり一帯はかつての租界時代最大の繁華街で、当時の 西洋人が建設した古い得ヨーロッパ式建築物が当時のまま残されており、 まるでヨーロッパの街をそのまま持ってきたようである。 |
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武漢一の繁華街である「江漢路」の南北に広がる租界時代に造られた建物の数々。
どれも保存状況はあまり良くないが、ここがかつて外国人の 租界地だったことを五十数年間語り続けている。 |
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武漢長江大橋
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中国とソ連共同で建設された、“漢陽地区”と“武昌地区”をむすぶ。
ソ連式風格に中国伝統建築が見事に融合して 本当に素晴らしい光景である。 橋の東側“武昌地区”の長江沿岸沿い「漢陽門」付近は古着市場が 広がっており、価格は恐ろしいほど安い! 外国製の有名ブランドもたくさんあり、リーヴァイスのジーンズも なんと150円(10人民元)ほどで買える!! |
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漢口地区側の古着市場通り
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このあたりは60〜70年前の路地裏が
当時のままの姿を留めており、 まるで東欧諸国の街に居る様な錯覚を受ける。 |
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漢口地区側の古着市場
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おそらく60〜70年前の建物だろう。
店内には世界中から密輸?された激安のブランド物が沢山! |
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Writing by |
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